記事: 『ストーリー・オブ・マイライフ』を見て、女性の人生が“誰かとの関係”で語られがちなことを考えた

『ストーリー・オブ・マイライフ』を見て、女性の人生が“誰かとの関係”で語られがちなことを考えた
3月8日の国際女性デーをきっかけに、フェミニズムをテーマにした映画を見てみようと思い、チャットGPTに聞いたところ、
『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』をおすすめされました。
気になりながらもしばらく見られず、ようやく先日見ることができました。
舞台は南北戦争時代。そんな時代に強く生きる四姉妹の物語です。
四姉妹それぞれの成長や自立、結婚や仕事などについて、彼女たちの生き方が描かれていました。
舞台は100年以上前の話、でも「女性の人生の選び方」について共感できる部分がたくさんあるなと感じ、個人的にはとても面白い映画でした。
(以下、少しネタバレあり)
映画の中で、四姉妹はそれぞれ違うものを望んでいます。家庭を持つことを幸せだと感じる人もいれば、自分の才能で生きていきたいと願う人もいる。愛されたい気持ちもあるし、自分の足で立ちたい気持ちもある。
その中で、個人的に印象に残ったシーンのひとつが、四女のエイミーの場面です。
エイミーはアートの世界に進みたいと願っているけれど、なかなか思うようにいかず、諦めることを決意します。そんな彼女に対して、幼馴染のローリーは、女性の芸術が正当に評価されにくいのは、評価する側に男性が多い構造があるからではないか、ということを投げかけます。
男性が多い世界で、女性が評価される。
その時、評価する側にいるのもまた男性であることが多い。
映画の舞台とは時代がかなり違うはずなのに、今にもまだその名残がある気がして、ぐさっときたシーンのひとつでした。
もうひとつ印象的だったのは、次女のジョーが大切な人の死を目の当たりにした後、母親の前で弱さを見せるシーンです。
ジョーは、自立して生きていきたい人です。自分の人生を生きるためには、結婚してはいけない。
少なくとも、当時の時代ではそう感じざるを得なかったのかもしれません。結婚するということは、家に入ること。誰かの妻として生きること。自分の夢や仕事を、後回しにすること。そんなふうに受け止めていたのだと思います。
プロポーズをされたり、恋をすることがあっても、ひとりで生きていこうとする姿勢を貫いていました。
しかし、そのシーンでは彼女は泣きながら「誰かに愛されたい」「1人でいたくない」と感情を露わにします。
私はジョーほどに強くはありませんが、とても共感できるシーンでした。
もちろん、映画の時代はかなり昔です。今とは社会の仕組みも、女性の働き方も、結婚の意味も違います。
それでも、結婚や出産をきっかけに働き方を変えるのは、今でも女性側であることが多い気がします。
夫の転勤についていくかどうか、子どもが生まれたあとの仕事量をどうするか、家事や育児を誰が中心になって担うか。そういう選択の前で、女性の人生のほうが自然と調整されやすい空気は、まだ残っているように思います。
「結婚したい」と思う気持ちと、「自分の人生を諦めたくない」と思う気持ち。
この二つは、本来は矛盾しないはず。
でも、社会の仕組みや周囲の期待によって、まるでどちらかを選ばなければいけないように感じてしまうことがあるように思います。
女性の人生は、もっとたくさんの言葉で語られていいはずなのに。
仕事を頑張っていること。
ひとりの時間を大切にしていること。
体調と向き合いながら毎日を回していること。
誰かを支えていること。
何かを諦めたこと。
それでもまた別の何かを選び直していること。
そういう細かい積み重ねも、全部その人の人生なのだと思います。
もちろん、恋愛や結婚や家族を軽く見たいわけではありません。むしろ、それらは人生に大きな影響を与えるものですし、大切にしたい人がいることは、とても尊いことだと思います。
ただ、「誰かとの関係」がその人の人生の中心に置かれすぎると、本人の輪郭が少し見えにくくなることがある。
誰かの娘で、誰かの妻で、誰かの母である前に、その人はその人です。
女性だからこう生きるべき。
結婚したらこうあるべき。
母になったらこうあるべき。
仕事をするならこうあるべき。
そういう枠から少し離れて、「私はどうしたいんだろう」と考える時間を、もっと大事にするべきだなと改めて思いました。
誰かとの関係の中で生きることと、自分の人生を生きることは、きっと矛盾しないはずです。
『ストーリー・オブ・マイライフ』を見終わったあと、そんなことを考えました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
