記事: 失敗すると人格まで否定された気がする人に、知ってほしいこと

失敗すると人格まで否定された気がする人に、知ってほしいこと
仕事で失敗したり、指摘を受けたりした時、落ち込んでしまうことありますよね。
もちろん、ミスをしたなら反省は必要。次に同じことを繰り返さないために、原因を見直したり、やり方を変えたりすることも大事だと思います。
私は20代の頃、落ち込んだついでに「あー、だから私はダメなんだ」と、自分自身の価値まで下げて考えてしまうことがよくありました。
たとえば、確認不足を指摘された時。
本当なら、「次はここを確認しよう」と受け止めればいいはずなのに、頭の中では「こんなこともできないなんて」「また迷惑をかけてしまった」「やっぱり私は仕事ができないのかもしれない」と、どんどん話が大きくなっていく。
相手が言っているのは、あくまでその仕事の進め方や、今回起きた出来事についてのこと。
それなのに、受け取る側の私は、いつの間にか「仕事のミス」と「自分という人間」を同じ箱に入れてしまっていました。
そんな時、上司から言われたのは、
「仕事でダメ出しを受けたり、失敗したりした時、失敗した側は人格そのものを否定されているような気持ちになってしまう。でも、多くの場合、相手はその人の人格を否定しているわけではない。仕事と人格は切り離して考えなさい。」
その言葉を聞いた時、ホッとしました。ああ、そうか。失敗したことと、自分の価値は別の話なんだ、と。
冷静に考えれば、当たり前のことなのかもしれません。仕事のやり方を指摘されることと、人として否定されることは、本来まったく別の話です。でも当時の私は、その区別がうまくできていませんでした。指摘された瞬間に、頭の中で全部が「自分そのものへの評価」に変わってしまっていたのだと思います。
私は、起きた出来事そのものよりも、「そんなことをしてしまう自分」の方を責めていたのかもしれない。直すべきことがある、という話を、いつの間にか「自分には価値がない」という話にすり替えていたのかもしれない。
もちろん、指摘を軽く扱っていいという意味ではありません。
失敗したなら、何が足りなかったのかは見つめ直した方がいい。確認のタイミングだったのか、共有の仕方だったのか、思い込みがあったのか。次に同じことを繰り返さないために、できることを考える必要はあります。
さらに、「私はダメだ」と思い続けている時、意外と冷静には考えられません。
恥ずかしさや申し訳なさで頭がいっぱいになって、次にどうするかよりも、どう見られたかばかり気になってしまう。早く取り返さなきゃと焦って、かえって視野が狭くなることもあります。
だからこそ、失敗した時ほど、まずは少しだけ切り分けてみたいと思うようになりました。
その時に、自分に問い直してみたいことがあります。
起きたことは何だったのか。
自分が次に変えられることは何なのか。
たとえば、「私はダメだ」ではなく、「確認するタイミングが遅かった」と言い直してみる。「また迷惑をかけた」ではなく、「次は早めに共有しよう」と考えてみる。言葉を少し変えるだけでも、責める対象が自分自身から、次に変えられる行動へ移っていきます。
働いていると、結果で評価される場面はどうしてもあります。だからこそ、失敗した時に心が揺れるのは自然なことだと思います。ちゃんとやりたい気持ちがあるからこそ、できなかった時に苦しくなる。
反省はする。でも、自分を嫌いになるところまでは行かない。
直せることは直す。でも、「私はダメな人間だ」と決めつけない。
そんなふうに少し距離を取れるだけで、同じ失敗でも、受け止め方は変わってくる気がします。
仕事でうまくいかなかった日、自分を責める言葉が先に出てきたら、いったん立ち止まって聞いてみたいです。
これは、出来事の話なのか。それとも、私の価値の話なのか。
できればそのたびに、静かに言い直したい。
失敗したことと、私自身の価値は別のもの。
そう思えるだけで、少しだけ楽になる気がします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
